メモ:『サイコパス・インサイド』より

サイコパス・インサイドより引用

「サイコパスの脳理解のための神経解剖学的予備知識」脳スキャン画像
前頭葉と側頭葉の一部の脳機能低下を示す驚くような稀なパターンが共通して認められた。
カリフォルニア大学医学部アーヴァイン校精神医学・人間行動学部門の教授。

人がサイコパシーを持つ要因は、生物学的には眼窩皮質と前頭前皮質腹内側部の不活性(熱い認知)、セロトニン、ドーパミン、戦士の遺伝子(MAO-A短型)などがキーワードになる。エピジェネティック・マーキングも関係があるかもしれない。生育環境の影響ははっきりしないが、幼児期の被虐待が戦士の遺伝子の攻撃性を増大させるという調査結果がある。脳の損傷による場合もありえる。
著者は①前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体の異常なほどの機能低下、②いくつかの遺伝子のハイリスクな変異体、③幼少期早期の精神的、身体的、あるいは性的虐待を、人がサイコパスになる三本の椅子の脚と考えている。

1994年に同僚のスタンリー教授が臨床心理学博士後期課程の仕上げに行った心理検査の内容が興味深い(以下に引用あり)。

2000年に妹と娘から受け取った手紙の話・・・”二通の手紙とも幾年にもわたって私が彼女らにしてきたことへの非常に大きな失望について語っていた。これらの手紙では、私が薄っぺらな人間で、あまりにもしばしば当てにならないことをほのめかされていた。これらの手紙の肝心な点は、彼女らが私にはその全面的信頼、感情、支援、愛情をこれまで終生捧げてきたのに、私はほとんど何も答えてこなかったという彼女たちの思いがつづられていたことである。人間なら心に抱き、必要としているあの共感性、実際の対人関係上の情緒的共感性ないし深い結びつきという点では、私は彼女ら二人に何も答えてはいなかった。”(孫をレストランに同伴すると約束したのに、孫を置いて自分だけレストランに行ってしまったエピソード)・・・”手紙を受け取ったときに、「そんなことをいつ私はしたのか?」考えたが、その答えが見つからなかった。”・・・”これらの文面を総括し、真剣に考えるには10年の年月が私には必要だった”・・・”率直に言えば、自分に認めたことは、「私は気にもならない("I DON'T CARE")」ことができるということだった。(p.211-212)

私見では、資質[遺伝子]は私達の人格と行動の約80パーセントを決定しており、そして養育(私たちがいかに、どのような環境で育成されるのか)が決定しているのはたった20パーセントでしかない。
脳と行動に関して常日頃私が考えてきたことはこのようなことである。しかしこのような理解の仕方は、問題の発端となった2005年以降には手痛い打撃を受け、障害とさえなりはじめたために、私の過去のこの信念と私の現今の事実との間の折り合いをつけようといまなお務めている。これまで以上に私が理解を深めたことは、人間は生来、複雑な生物である、ということである。
しかしヘアによると、ここには入らない全く別のカテゴリーに属するサイコパスがおり、PCL-Rでは高得点を示さないが、それでも古典的なサイコパシー的特性を示す徴候を強くしている。これはピーターセンが演じた「Manhunter」のえいゆうで、FBIのプロファイラー、ウィル・グレアムのような人たちである。グレアムは自分がレクターと同じ欲求と対人関係における共感成の欠如を有していることを認めている。彼は殺人者ではないにせよ、実際にはサイコパスであるか、少なくとも私がマイルド・サイコパス(Psychopath Lite)と呼んでいる、準サイコパスである。かれはPCL-Rでは15から23程度の点数で、完全なサイコパシーの限界点である30点未満で、その他の点では完全にまともだと皆が思うような人物である。
花火を作り始め・・・同じころ火遊びや射撃に格別の関心を持つ別の二人の友人が私を彼らの冒険に誘ったが、これはしばしば大きな野火となり、彼らの自宅にも延焼しかねないほどのものであった。・・・私たちはいたずら小僧ではあったが、ほとんど害悪を及ぼすようなことはなかった。もっとも今日ではそんなことを罰を受けないでやってのけようとしても、毎回捕まり、留置場送りとなってしまうだろう。一部の私の友人は動物を銃で撃ったり、鳥を串刺しにしたり、牛の尻に杭を打ち付けたりしていたが、私はそんなことに興味はなかった。
ハロウィンなどの・・・公認の馬鹿騒ぎができる夜などには、わたしたちは腕白ぶりを発揮した。・・・私にとって、いじめて、人を苦しめたいという私の心の中の動因は暗い側面であるかもしれない。しかし、通常、それは悪い冗談のうちに結局は発散されるという仕方で終わるという明るい側面を持っていた。
私の思春期後期には、私は好感の持てる、標準的生徒で、親切で、頼りがいがあり周囲を和ませていた。折に触れて珍奇なことを言ったりしたが、私は多くの人たちに受け入れられ、多くの人が私と付き合いたいと望んでいることがわかったし・・・私は男の中と男というだけでなく、女性とも親密な友好関係をもてる男である
これらの脳領野、これらの結合、化学、そして回路を、幼児が見知らぬ人を見て恐怖を示すような、<障害ではない>何らかの適応行動あに関して全体的に考察しようとすると、脳の配線の複雑さは手に負えないものとなってしまう。一方<障害を扱う>臨床科学にとって、問題となる脳の配線を図示することは朝飯前である。p54-55
前頭全皮質の背側部とその皮質下の連結領域は「冷たい認知」、つまりは思考、知覚、短期ないし執行記憶、計画、規則作成のような感情のない処理過程と関係している。・・・前頭前皮質の下部、もしくは腹側部の大部分は眼窩皮質と前頭前皮質腹内側部によって構成されており、同じような諸機能を担っているが、とりわけこれらの機能は「熱い認知」、つまりは情動記憶、社会的、倫理的、道徳的にプログラム化された行動を可能にしたり、不可能にしたりすることに関与している。・・・ある一つの矛盾が存在るうのかもしれない。それは共感、つまりは人世早期に派生するもので、他人の苦痛との基本的結びつきと、「こころの理論」、つまりは私たち自身のものとは異なる場合でも他者の思想や信念を洞察することを可能としてくれるより精緻な内側前頭前システムとの間の矛盾である。自閉症の人は共感ではなく、「こころの理論」を欠いている。サイコパシーの人はこころの理論ではなく、共感が欠けている。共感を欠いても同感はそれでも可能である。p61-62
この本では1673~1892年までしか扱っていないが、父方家系にはほかに五指に余る殺人者ないし殺人の嫌疑者がいた可能性があって、彼らのいずれもが近親者を殺害したかどで有罪となったり、告発された物ばかりであった。p76
・・・2011年と2012年には祖先の二つの別の父方家系を彼らは発見し、そこでは更なる惨劇が曝露された。p.77
あまり学問的ではないが、遺伝的問題で疑問になるのが、いくつかの特徴が軽い傾向として現在までの多くの世代を通じて浸透する可能性はないのか、ということである。話が錯綜するが、第二次世界大戦で戦った私の父、私の祖父ハリー・コーネル・ファロンと二人の叔父は「良心的兵役拒否」の信条を持っていたが、硫黄島、ニューギニア、ニューカレドニアの戦闘では衛生兵であった。とはいえ、指摘しなければならないことは、私の祖父は口論好きであった。また私の世代では兄弟たちや従兄弟たちの中で少なくとも五人は攻撃的で、恐れを知らないボクサーであり、ストリートファイターである。彼らは実際に喧嘩好きで、単独で一度に何人もの人間を相手にしようとさえする。連中は恐れ知らずで、攻撃的である。しかし彼らはパーティが大好きの愉快な奴らで、頭も切れるのである。p.81
脳内セロトニンやドーパミンのような神経伝達物質の供給を制御しているので、遺伝子のプロモーターとインヒビターはちょうど自動車のアクセルとブレーキのようなものである。セロトニンはサイコパシーと同時にうつ病、双極性障害、睡眠、摂食障害、統合失調症、幻覚やパニック発作に関係し、この分解酵素はMAO(モノアミン酸化酵素)-Aである。この酵素を産生する遺伝子MAOAプロモータには短形ないし長形とがある。MAOA遺伝子短形型は攻撃的行動と関係し、このため「戦士の遺伝子」と呼ばれている。p.83
これらの非遺伝子構造は統合失調症やうつ病、嗜癖や癌、免疫疾患の多くの種類を含む障害の一部の根本的原因であると現在考えられている。これらの要因は私たちが進化する段階でウイルスや細菌のようなほかの有機体、あるいは食物からも取り入れられてきたように思われる。西暦2000年以前には不要なDNAと一旦は考えられていたものが、その機能の多くが謎ではあるが、今や不要なものなどでは決してないことが知られている。p.86
戦士の遺伝子の作用は主に男性において認められる。というのもこの遺伝子の座位はX染色体にあるからである。戦士の遺伝子はX染色体の約30パーセントに発生する。・・・こうして、女性は酵素MAO-Aが不十分となりこのためセロトニンが過剰となるには、両方のX染色体のMAOA遺伝子の形質発現が低い型でなければならない。このようなわけで女性は戦士の遺伝子の影響をさほど受けにくい。p.91
サイコパシーの遺伝学を理解する際に理解しておいたほうがよい遺伝子はセロトニン・トランスポーターに関係するもので・・・このプロモーターのハイリスク変異体は、アルコール症、うつ病、社会恐怖、高血圧、強迫性障害、そしてロマンチックな恋愛を体験し、愛情を表現することの困難などとも関連している。・・・
セロトニンに加えて、ドーパミンもサイコパシーにおいて役割を果たしているように思える。p.92
サイコパスでは、いくつかの亜形というものも存在するとしても、彼らの扁桃体と<前頭前葉の>眼窩や腹内側、帯状の諸皮質の機能低下のために、そもそもストレスや不安というものをほとんど感じないことが多いのである。p.93
こうして私はサイコパスの脳を持っていた。また私の家族歴と恐らくは遺伝子もサイコパスのものであった。しかも私が研究してきた連続殺人者とは私は大分異なることも判明した。何かが足りず、それが私という科学者の風貌を作り上げているものなのだ。
・・・脳障害や機能喪失のこの特有の型はサイコパシーを形成するには必要なのかもしれないが、充分なものではないのかもしれないように私には思えた。他の諸因子が存在しているはずである。p.101

F・ジェームスは面白い愛すべき人物で、非常に活動的な社会生活を送り、数多くの親しい友人たちに恵まれている。友人や近親者たちを交えて、彼は旅行や、夕食会、パーティをしばしば企画し、開催している。彼は食事をよく愉しみ、ワイン通で、素晴らしい料理の腕前を持っている。自分の学生たちと良く交わり、同僚たちからは高い評価を受けている。熱心に世界を巡る旅行好きで、新しい状況にも難なく適応してしまう。F・ジェームスは自分では決して深いうつ状態に陥ったことがないと主張しており、睡眠に就くことを嫌がっているのだが、それは「何かをやり残してしまうことを恐れている」からである、。この結果彼は一晩に四~五時間位しか睡眠せず、朝の一時か二時頃まで、パーティに出たり、飲酒し、そして午前六時には起床している。彼の陳述によれば、幼年時代の喘息の問題は自身の死というものを感じさせ、そして若い時に、人生が完全に終わるまで生き抜く決心をした。彼が十八歳の時に発症した数十年に及ぶ七〇〇回以上のパニック発作の中でこの決意は強まった。指摘しておきたいのは、彼は全国から集まったスポーツ賭博をする最大規模のアマチュアNFLアメフットの一つを運営していたが、これはお金のためというより彼の楽しみのためのものであった。彼は三歳以降競馬場やラスベガスに行き、賭け事をし、パーティにも参加してから幾十年にもなっているが、彼の掛け金は少額にとどまり、ギャンブル狂いではない。また楽しみで脚本を書き、総じて彼と彼の家族は快適な人生スタイルを送っている。
F・ジェームスのIQ値は非常に優れた範囲にあって、過去の種々の検査での彼のIQ値と同じである(一五〇台のIQ値)。非常に均衡のとれた言語性と運動性の脳機能が示された。(注――虚偽尺度Lと防衛的態度尺度Dからは、彼は自分を理想化した仕方で自己を示したいと望んでいることがうかがわれ、自我の強さ、情緒的防衛傾向、現実との良好な接触、完全主義者、優れた対処技能の持ち主だが、内省力は乏しい可能性がある)。彼の受けた臨床スコアは、①適応性、②決断力、③確固とした自己像、④心理的ストレスが低い、性格的に楽天的な優れた素質、⑤独立心、⑥自己主張、⑦活動エネルギー水準、⑧用心深さ、⑨外交性、⑩自信、⑪社交性、⑫自発性、以上の項目が含まれた点数でプロフィールが描かれている。これらの項目スコアから判定すると、彼の振る舞いは均衡がとれているが、幾分粗野なカウボーイ的なところもある。また言葉は流暢で、高い活動性と社交性とが示唆されている。これは権力、人から認められること、そして地位への関心の表れかもしれない。。このような推定上の個人的諸特性のすべてが、ほかの諸検査の結果や、面接者の一人によるこの被験者の十年に及ぶ密接な個人的観察によって裏付けられている。彼は極めて野心的で仕事熱心な大学人で、これまでに享楽的人生を愉しみながらも満足のゆく、成功した経歴を実現してきた。真の洞察というものは欠落している、と仮説的にいえるにせよ、彼は、その検査得点からは自己中心性と他人と親しくなることとに潜在的困難を抱えているとしても、彼の経歴上の目標達成に必要な対処技能はかなりの程度に上達している。
潜在する衝動性、自己への信頼、必ずしも共感的ではない女性観があるようだが、MMPI(ミネソタ大学多面的人格検査)では、F・ジェームスは彼の内面的自己をほとんど見せていないことが明らかになっており、TAT(テーマ統覚検査)のスコアからは、強い父親像と欠如した母親像とが示唆され、同性愛の反応はなく、明らかに上品ではないが、性的には正常であることが示唆された。HTP(家・木・人描画検査)の絵からは、幼児的自己中心性と容貌への自惚れが強いことが示唆されている。容易に順応し、過度の社交家で、他の文化や社会一般や専門家同士のネットワークにおいても交流が広い。さらに示唆されているのは、誇大性や自己への強い関心という自己愛的傾向、他人への人間的純粋反応は、おそらくは表面的な水準でしかない自己の価値へのかなり高い肯定的評価を示しており、これらは彼の能力を超えた要求をしている可能性がある。いくつかの検査で示されているのは、他人との関係は表面的で、操作的であるが、破壊的な形ではない。彼は極めて高いストレスの多い生活スタイルを送っているが、これに対処するために十分な心理的資源を有しているようには思えない。彼はある程度の誇大性と自己愛、未だ果たせぬある程度の独立への欲求とを彼は示しているが、これらは余り重大ではないのかもしれない。p.208-209

サイコパスは私達に必要なのだろうか?
・・・・・・
サイコパスはあらゆる人類社会に存在している。約二パーセントというサイコパスの正確に定まっている比率によって示唆されていることとは、サイコパシー、ないし少なくともサイコパスに見出される特性と関連対立遺伝子とは人類にとって幾分なりとも「好ましい」ものである、ということである。さもなければ、とっくの昔に、進化はこれらを拭い去るか、少なくともその数を減少させたはずである。
・・・・・・
こうして理論上は、サイコパスは誰にもそれと気づかせずに、他人を操作して、自分の望みのものを手に入れ、長命長寿の人生を快適に生きることが可能だ、と言える・・・
サイコパスは友人を見つけるのに困難を感じないことが知られている。
・・・
家族、特に母と妻はサイコパス達に耐えようとするが、それは彼らにわずかの共感が生まれるのを期待し、彼らの人柄が変わるのでは、と彼女らが思っているからである。もちろん当人が変わるなんてことは金輪際ない。・・・利口な人たちでさえもこのように思い違いをする場合がある。誰でもが自分なら他人の行動と運命とをコントロールできると思いたがる。つまり、「私は彼とは特別の関係があり、彼の良い所が判る人間なのだ。彼はとてもいい子なんだから」、と。サイコパスは人を特別だと思い込ませる仕方に通じている。・・・
・・・
もしサイコパス的傾向があるなら、個人的には当人は利益をそこから得ることが可能であることは明らかであるが、社会全体としてはどうであろうか?サイコパス達はそうでない私たちに何か提供できるものを持っているのだろうか?
彼らは強い指導者になりうる。カリフォルニア工科大学の最近の研究によれば、戦士の遺伝子を持つ人々はリスク下での金融的判断に比較的良好な結果を出している。多くの人たちがストレス状況下では金縛りになってしまう一方で、実際の指導者はサイコパスがそうであるようにチャンスを逃がさない。実権を握ると彼らは、時期が不確かでも、新しい市場を開拓しようとして乗り出していくし、兵隊を鼓舞し、自分の部族を引き連れて、次の山を目指していく。このようなことは彼らが責任を有している集団のためになるかもしれないし、そうではないかもしれない。巨視的観点からは、集団がチャンスを逃さないようにさせることは文明の進歩には好都合である。
私たちはまたナルチシズムの人間をも必要としている。というのも指導者となるエネルギーを持つためには、その人は自分自身によって満たされて、満タンになっている必要があるからだ。会長や社長になることがどういう事か実際にわかっているなら、いったい他に誰がそんなものになりたいと思うのだろうか?そのような仕事を鼓舞し、うまくこなすには、強い利己主義と饒舌と、少しのほら話が必要なのだ。
・・・
それでも世の中の経験が示してくれているように、私たちの多くがホットな取引が好きで、タフで情味のない社長が好きで、金作りが上手くて、私たちを保護してくれるようなタフガイが好ましいのである。
議論の余地が大いにあるだろうが、私たちはすべて、心の中には多少の盗み心があるし、自分たちが望むものを与えてくれる狡猾であこぎなサイコパス達に雇われることを歓迎している。場合によっては、多くの人が相手を懲らしめるために、自分のために働いてくれるマフィアが持てないものかと思わないであろうか?
・・・
サイコパスはまた強い兵士となる。人類誕生以降生存の名のもとに私たちはお互いに殺し合ってきたことを勘案すると、人類は戦争に行くのが好きであって、少なくともそれが必要なものと考えている。戦争自体をどのように感じるのかは関係なく、そのような本能の存在を否定することは的外れである。戦争を支持することは必然的に人をサイコパスにするのだろうか?人間は自己保存のためなら何でもしようとするし、もし必要なら法も破るし、殺害さえする。それは正常な行動であって、西欧社会はそれを非道徳とは考えない。
・・・
私の知っている軍関係者たちはもっとも反戦的な人たちであって、それは先頭による被害の全容を彼らは理解しているからである、と(予想されるように、少数の者はむしろ戦争を愉しんでおり、まるで懸賞金稼ぎボクサーや戦いを生きがいとしているストリートファイターのようで、これは私の親族にも驚くほどに頻繁に見出されている)。
もっとも有能な兵士ないし闘士はその行動から感情的に冷めている人たちのように思える。戦闘において兵士は住民をきちんと脱出させ、引き金を引くことを恐れず、戦闘に喜んだり、興奮したりすることがあってはならない。兵士は目標を定かに捉え、先入観や感情をまじえず、目標を選定しなければならない。平時にあっては、それはサイコパスと思われかねないが、しかし0.05秒が生死を分けるような戦時にあっては、それは極めて有効である。
しかもサイコパス達は戦闘を生き抜くチャンスがより高く、家に帰還したのちには、PTSDに罹患する危険がより低い。・・・
しかしながら、サイコパスたちを戦争に参加させることには問題があって、軍隊はまた兵士たちがチームプレイをしてくれて、部隊に溶け込めることを望んでおり・・・退役大佐で、経験豊富な兵士で、平時にあっては良き家庭人であるジャック・プライア―はその闘争本能を自然にスイッチオンやオフにできると私に語ったことがある。ベトナムでの彼の最後の戦いは虐殺であった。・・・彼は幾人かを殺害し、それからバーガーを食べているが、しかしサイコパスなんかではない。
ホイス・グレイシーやこのジャック以外の格闘家たちにもそのような効果的な情動のスイッチオン、オフが見出され、兵士たちの新兵検査や訓練に応用可能なのだろうか?これは決定可能な問題だが、長い研究機関が必要で恐らくは一億ドルの費用がかかるだろう。p.231-241


サイコパシーに関連する諸特性や遺伝子を社会から除去すべきだ、とは私は思わない。そんなことをすれば、社会は停滞し、私たちは排除されてしまう。私たちがする必要があるのは、これらの特性をもった人たちをその人生の早い時期に、判別し、その困難を除いてやることである。共感性が低く、攻撃性が高い者たちは、かなった形で扱ってやれば、よい衝撃を与えることができる。いうまでもなく、彼らはその家族や友人に、私がそうであるように、ストレスを与えるが、しかしマクロのレベルでは社会に利をもたらすのである。これは私の自己愛からそう言ってるのかもしれないが、サイコパシー・スペクトラムにはスイートスポットというものがある、と信じている。ヘア尺度で25~30点のものは危険ではあるが、これが20点台の者たちは私たちの周囲には数多く必要なのである。それは、人間をワクワクさせ、適応力のあるものにし、生気を保つための大胆さや活気、法外さを持つ人なのである。
だから私は人に好かれている。<了> p.246

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