尾形百之助
■年齢
明治37年(1904)の日露戦争に上等兵として従軍し、終戦を迎えている。伍長勤務・伍長等にはなっていない。
第七師団が日露戦争に参加したのは、明治37年11月から。
徴兵か志願か・・・17歳で志願とかだとさすがに(見た目に対して)若すぎると思うので、徴兵と仮定すると
- 明治35年12月の徴兵検査で合格
- 明治36年1月入隊、二等卒から上等兵候補。12月に選抜をうけて上等兵に
- 明治37年11月大阪から旅順へ。12月末で兵役終了するはずだったけど、戦争になってしまったので即時召集で延長
- 明治38年2月奉天会戦。以後9月の終戦までロシア兵と対峙しつつ待機。
という流れになり、
この場合、生まれは明治15年の後半から明治16年の前半と推測されます。
ゴールデンカムイの物語は明治38年末あたりからなので、22~3歳か。若いな・・・。
これより前に入隊しているなら「兵士として卓出」(鶴見)な彼が上等兵に留まっているとは考えにくい・・・問題行動ありで昇進できなかった・・・?
その場合は、25歳くらいもありえる・・・?わかりません。あまり何年も昇進せず留まっているのも難しそう(予算がないから)。
なんにしても兵役期間は終わっているけど軍に留まることを選んだわけですね。
■なぜ第七師団?
赤ん坊のうちに茨城の祖父母宅へ連れ戻された。そのまま育てば第一師団のはずで、第七師団にいるということは、どこかで北海道(せめて東北)に転居したはず。
母の死後、さすがにもてあまされ、北海道へ入殖する誰かに引き取ってもらったとか・・・?
■花沢中将との関係が周囲に知れた経緯
自己申告・・・?ありえなそう。
弟くんが言いふらす・・・?「公然の秘密」となってからならともかく、何もないところで言いだしたらさすがにアホでは。
上層部から漏れ伝わる・・・?花沢本人が尾形親子の存在を闇に葬ってそうなので、よほどでなければ20年前の事情が探り出されはないかと・・・鶴見、お前か・・・?
とかとか、考えるにつけ、思うのは、裏付けなしでは、誰が言おうが「公然の秘密」にまではならないのでは、ということ。
眉毛と目が瓜二つ、でもやっぱり根拠なければ他人の空似で済ませられる。
つまり戸籍に父・花沢の記載があった=認知されていた、のではないか。
明治19年戸籍法では「婚姻外で生まれた子は母の戸籍に私生子として入る」「父が認知すれば、父の戸籍に庶子として入る」そうですが、明治19年戸籍法に対して
”明治15年までは妾も認知されれば戸籍に入れた”と5ch発言だけどあるから、出生当時のほうが将来を楽観できる状況だったのかもしれない。
https://academy3.5ch.net/test/read.cgi/history/1058031772/
本妻さんはどこかのタイミングで尾形の存在に気付いたと思う。で、弟くんに不遇な兄を敬愛するようひそかに言い含めていたのでは。夫はこの件とりつく島もなさそうだから。(善良だけどどっかズレてる母子なんだな・・・。)
気付くためにも戸籍になんらかの記載が必要じゃないだろうか。
■弟くんは何歳なのか
本妻に子どもができるとぱったり来なくなった、まだ赤ん坊の俺を茨城の実家へ、というので、尾形とほとんど同時期に生れたのではないか。せいぜい年子。
で、エリートらしく陸軍幼年学校から士官学校を経て見習士官、少尉ときたなら、尾形と第七師団であったとき20歳前後のはずで、やっぱりそれくらい。
■茨城時代
赤ん坊のうちに茨城の祖父母に引き取られる。それから入隊までどうしていたのか。
祖父母の家業は?農家?娘を芸妓に出したのは経済的に苦しくて?
明治20年代、兄弟がいないとも考えにくい、いなかったとしても親戚がいるだろう。そこの養子にならなかったの?
祖父母はいつまで生きていただろう。尾形が入隊する前後には亡くなっておかしくない。
5歳くらいまでは普通の子だったろうか。ときどきサイコパスの片鱗が見えただろうか。
小学校にあがったら色々苦労したのではないか。どう対処したか。
小学校を卒業したあとどうしていたのか。成績は(まじめにやれば)かなり良かったはずだが、中学に進めたとは考えにくい(進んでいたなら花沢の援助が必須だったろうし、兵卒で入隊することにはならないはず)。
鮟鱇が食べられるから、海に近い農村か。大洗のほう。しかし毎日はさすがに無理ある。魚屋だって毎日はこないでしょ。
いくら「東の鮟鱇」ったって鰯じゃないんだから、頻繁に買えるだけの余裕は尾形家にあったはず。
■尾形の兵糧
「また会おうぜ鶴見中尉殿」から茨戸で土方に拾ってもらうまで、どう食いつないでたの?
■脱走兵が軍服で単独行動してて大丈夫?
まあ・・・ファンタジーで・・・。
警察も軍隊も単独行動しないよね。みるからに怪しいじゃんね。
------
両親について(妄想)
日露戦争時点で中将。薩摩出身。
実在の人物でいうと 立見尚文中将が59歳、上村彦之丞中将が55歳
母親・・・見た目の良さで芸者になるも、気が弱く都会に馴染めないところを若かりし花沢に見初められるとか?
物語の時点で尾形25歳・父55歳と仮定すると30歳・・・数年前から正妻はいて、出世の道をのぼろうとしてるけどやや燻ってて、奥さんとはいまいちしっくりこずという感じ?尾形母17~19、28位で会って、身請けして子どももできて、でもそのタイミングで奥さんも妊娠して、ハタとこれはマズイ、と目が覚めるとか。
で、足が遠のいて、尾形母は孤立してノイローゼになっていく。月々の送金に手紙が添えられることもなくなり。
明治37年(1904)の日露戦争に上等兵として従軍し、終戦を迎えている。伍長勤務・伍長等にはなっていない。
第七師団が日露戦争に参加したのは、明治37年11月から。
徴兵か志願か・・・17歳で志願とかだとさすがに(見た目に対して)若すぎると思うので、徴兵と仮定すると
- 明治35年12月の徴兵検査で合格
- 明治36年1月入隊、二等卒から上等兵候補。12月に選抜をうけて上等兵に
- 明治37年11月大阪から旅順へ。12月末で兵役終了するはずだったけど、戦争になってしまったので即時召集で延長
- 明治38年2月奉天会戦。以後9月の終戦までロシア兵と対峙しつつ待機。
という流れになり、
この場合、生まれは明治15年の後半から明治16年の前半と推測されます。
ゴールデンカムイの物語は明治38年末あたりからなので、22~3歳か。若いな・・・。
これより前に入隊しているなら「兵士として卓出」(鶴見)な彼が上等兵に留まっているとは考えにくい・・・問題行動ありで昇進できなかった・・・?
その場合は、25歳くらいもありえる・・・?わかりません。あまり何年も昇進せず留まっているのも難しそう(予算がないから)。
なんにしても兵役期間は終わっているけど軍に留まることを選んだわけですね。
■なぜ第七師団?
赤ん坊のうちに茨城の祖父母宅へ連れ戻された。そのまま育てば第一師団のはずで、第七師団にいるということは、どこかで北海道(せめて東北)に転居したはず。
母の死後、さすがにもてあまされ、北海道へ入殖する誰かに引き取ってもらったとか・・・?
■花沢中将との関係が周囲に知れた経緯
自己申告・・・?ありえなそう。
弟くんが言いふらす・・・?「公然の秘密」となってからならともかく、何もないところで言いだしたらさすがにアホでは。
上層部から漏れ伝わる・・・?花沢本人が尾形親子の存在を闇に葬ってそうなので、よほどでなければ20年前の事情が探り出されはないかと・・・鶴見、お前か・・・?
とかとか、考えるにつけ、思うのは、裏付けなしでは、誰が言おうが「公然の秘密」にまではならないのでは、ということ。
眉毛と目が瓜二つ、でもやっぱり根拠なければ他人の空似で済ませられる。
つまり戸籍に父・花沢の記載があった=認知されていた、のではないか。
明治19年戸籍法では「婚姻外で生まれた子は母の戸籍に私生子として入る」「父が認知すれば、父の戸籍に庶子として入る」そうですが、明治19年戸籍法に対して
京都府伺 明治20年1月13日という記載があり、認知されても母の戸籍に留まるケースはあったようなので(そらそうだろう)、尾形姓でもおかしくない。
私生子を男子己れの子と認め婦女住所の戸長の弁可を得たるときは庶子とし男子の籍へ編入すべきの所、婦女の籍に存在のまま其父の氏名を明記し婦女の公生男女に引き直したき旨、双方連署申し出る者有。これ右は望に任せ不苦哉。
司法省指令 明治20年1月22日
伺之趣、男子の認めを受けたる私生子は其父母たる男女結婚せざる時は庶子と称すべきものなるを以て婦女に於いて公正の子に引き直得ざる儀と心得べし
”明治15年までは妾も認知されれば戸籍に入れた”と5ch発言だけどあるから、出生当時のほうが将来を楽観できる状況だったのかもしれない。
https://academy3.5ch.net/test/read.cgi/history/1058031772/
本妻さんはどこかのタイミングで尾形の存在に気付いたと思う。で、弟くんに不遇な兄を敬愛するようひそかに言い含めていたのでは。夫はこの件とりつく島もなさそうだから。(善良だけどどっかズレてる母子なんだな・・・。)
気付くためにも戸籍になんらかの記載が必要じゃないだろうか。
■弟くんは何歳なのか
本妻に子どもができるとぱったり来なくなった、まだ赤ん坊の俺を茨城の実家へ、というので、尾形とほとんど同時期に生れたのではないか。せいぜい年子。
で、エリートらしく陸軍幼年学校から士官学校を経て見習士官、少尉ときたなら、尾形と第七師団であったとき20歳前後のはずで、やっぱりそれくらい。
■茨城時代
赤ん坊のうちに茨城の祖父母に引き取られる。それから入隊までどうしていたのか。
祖父母の家業は?農家?娘を芸妓に出したのは経済的に苦しくて?
明治20年代、兄弟がいないとも考えにくい、いなかったとしても親戚がいるだろう。そこの養子にならなかったの?
祖父母はいつまで生きていただろう。尾形が入隊する前後には亡くなっておかしくない。
5歳くらいまでは普通の子だったろうか。ときどきサイコパスの片鱗が見えただろうか。
小学校にあがったら色々苦労したのではないか。どう対処したか。
小学校を卒業したあとどうしていたのか。成績は(まじめにやれば)かなり良かったはずだが、中学に進めたとは考えにくい(進んでいたなら花沢の援助が必須だったろうし、兵卒で入隊することにはならないはず)。
鮟鱇が食べられるから、海に近い農村か。大洗のほう。しかし毎日はさすがに無理ある。魚屋だって毎日はこないでしょ。
いくら「東の鮟鱇」ったって鰯じゃないんだから、頻繁に買えるだけの余裕は尾形家にあったはず。
■尾形の兵糧
「また会おうぜ鶴見中尉殿」から茨戸で土方に拾ってもらうまで、どう食いつないでたの?
■脱走兵が軍服で単独行動してて大丈夫?
まあ・・・ファンタジーで・・・。
警察も軍隊も単独行動しないよね。みるからに怪しいじゃんね。
------
両親について(妄想)
日露戦争時点で中将。薩摩出身。
実在の人物でいうと 立見尚文中将が59歳、上村彦之丞中将が55歳
母親・・・見た目の良さで芸者になるも、気が弱く都会に馴染めないところを若かりし花沢に見初められるとか?
物語の時点で尾形25歳・父55歳と仮定すると30歳・・・数年前から正妻はいて、出世の道をのぼろうとしてるけどやや燻ってて、奥さんとはいまいちしっくりこずという感じ?尾形母17~19、28位で会って、身請けして子どももできて、でもそのタイミングで奥さんも妊娠して、ハタとこれはマズイ、と目が覚めるとか。
で、足が遠のいて、尾形母は孤立してノイローゼになっていく。月々の送金に手紙が添えられることもなくなり。
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