「人殺し」の心理学』 デーヴ・グロスマン

貸してた進撃が返ってきて読み返したらリヴァイ熱が再発した。だいたい私は物語を人物への興味でしか読めない、推理小説の伏線はわからないしファクト重視の歴史ものは読めない。だから進撃も私には要するにリヴァイが圧倒的に強くてかっこよければそれでいいんだけど、それにしてもどういう人格なのか気になりだした。

相当トラウマティックな生い立ちにも関わらず精神衛生をそれなりに保ててそうなのは、どうしてなのか。巨人が理解不能な化け物だったうちはともかく、元は人間と分かってから、どう心の折り合いをつけているのか。
バナナフィッシュのアッシュ、パームのジェームスも似た設定だけど、あれらは「まあ天才だから……」で通してた気がする。アッシュは割と苦悩してたし。

サイコパス(ソシオパスと区別したうえで)と捉えればいいのかな?感情をいれず超合理的に判断・行動するということで。壁の外に人類を開放する、巨人による人類全滅を避けるのが彼にとっての目的か?「俺なら巨人に喰われる地獄より人が殺し合う地獄を選ぶ。少なくとも…全人類が参加する必要は無いからな。」あたりからすると。
現実の人間心理にどれだけつなげられるものなんだろうか。
ぱっと思いついたのがシモ・ヘイヘだけど、伝記本が図書館になかったので、ひとまず『「人殺し」の心理学』を借りてきた。それが良い本だった。

----------------
現代の日常からは死が排除されタブー化されている(病院での死、屠殺の工業化)。そのくせ病的なまでの興味がある(娯楽としての死)。ビクトリア期に性が抑圧されると同時にポルノ・児童虐待が生まれたように。

人間は本能的に殺人に強い抵抗がある。動物と同じように、同種間の戦いはできる限り示威で済ませるものだった。第二次大戦で消費された弾薬数は実際に殺された人数をばかばかしいほど上回る。多くの兵士が仲間の救護、補充、斥候などを買って出る、それとわからないように狙いを外す等で人殺しを避けていた。

しかし第二次大戦でそのことが判明してからは、各国の軍事教練が、実際に人を殺せるようにする、内容に変化した。具体的には、リアリティ追求(人型の的・偽物の血を飛ばす・悲鳴などを鳴らす等)した環境で、条件反射的に発砲して当てる訓練。リハーサル。
加えて対象との距離が有効。人種的距離、文化的距離、倫理的距離、物理的距離。
それによってベトナム以降の発砲率は大幅に上昇した。

しかし、本質的な人殺しへの嫌悪・恐怖は誤魔化されただけで兵士の中にあるので、却って心理的負担は悪化した。
トラウマを抱えた兵士を受け入れる社会にも、そのツケは回ってくる。

ただし軍隊での人殺しは、上司の指示という強固なタガをはめられている。
それに比べ、娯楽(映画・小説・ビデオゲーム)での人殺しは野放しであり、社会への悪影響はいっそう大きいはずだ。垂れ流される悲惨なニュースが不感症をもたらしている。
我々は死と殺人を理解しなおし、まともな感性を取りもどさなければならない。
---------------
といった感じ。ほんとそうだよね、テレビ無し方針は間違ってない。

で、リヴァイの話に戻ると
スウォンクとマーシャンの第二次大戦の研究によると、戦闘中の兵士の二パーセントが<攻撃的精神病質者>の素因をもっている。かれらは明らかに殺人に対して常人のもつ抵抗感をもたず、戦闘が長引いても精神的な損傷をこうむることがない。ただし<精神病質者(サイコパス)>、現代風に言えば<社会病室者(ソシオパス)>という語にまつわるマイナス・イメージはここでは適当でない。戦闘中の兵士にとっては、これはおおむね望ましい行動様式なのだ。
・・・・・・
より正確に言うならば、強制された場合もしくは正当な理由を与えられた場合、全男性の二パーセントは後悔や自責を感じずに人を殺すことができるだろう、ということになる。
・・・・・
ダイアによれば、第二次大戦の全死傷者の四〇パーセントは、アメリカ陸軍航空隊の戦闘機パイロットのうち一パーセントによるものだという。
・・・・・
アメリカ空軍の先任将校数名が語ってくれたところによると・・・戦闘機パイロットに適した人材をあらかじめ選抜しようとした。このとき、第二次大戦の撃墜王たちに唯一見つかった共通項は、子供のころ喧嘩ばかりしていたことだったという。いじめではない。いわゆるいじめっ子は、まともに喧嘩のできる相手は避けて通るものだ。
・・・・・
DSMⅢーRによると、国内の男子全員における<反社会的人格障害者>・・・の割合はおよそ三パーセントであるという。本質的に権威に反抗する傾向が強いので、社会病質者は軍隊には向いていない。だが何世紀にもわたって、軍は戦時中、このような攻撃性の高い人々をかなり使いこなしてきた。


超目的主義なのはケニーとミカサも同じであって(「大いなる目標のためなら殺しまくりだ」「私が尊重できる命には限りがある。そして…その相手は6年前から決まっている」)、
攻撃性には遺伝的素因がある。このことは有力な証拠で裏付けられている。どの生物種をとっても、最も狩りがうまく、戦いに強く、攻撃的な雄が勝ち残り、その生物的素因を子孫に伝えている。しかし、この素因が完全に発達して攻撃性となってあらわれるには、そこに環境的な要因も作用する。・・・他者への感情移入能力の有無という要因もある。


ただ、リヴァイは(ケニー戦以外)自分が負けて死ぬ恐怖ってあんまり感じてなさそうだ。実際あれだけやって打撲くらいしか怪我してない。その点がどう心理に作用するのかな。

コメント

人気記事

尾形百之助

花沢中佐と尾形母のいきさつを推測する

公式戦史から歩兵第27連隊の動きを読む(1) ~12月1日